代表紹介

中津山経営コンサルティング 代表
中津山 恒(なかつやま ひさし)

1962年 山形県米沢市生まれ。山形県立興譲館高等学校、東北大学工学部、同大学院工学研究科 前期2年(修士)卒
1987年 富士ゼロックス株式会社に入社
2013年 中津山経営コンサルティングを開業(兼業)
2014年 中小企業診断士として独立
2016年 八洲学園大学非常勤講師

     

起業のきっかけ

記者
会社員時代は一貫してソフトウェアの研究開発に従事していたということですが、キャリアチェンジしたきっかけを教えてください。
中津山
開発以外に、マーケティングや事業計画にも携わる機会があって、より上流の工程に興味をもつようになり、中小企業診断士の資格を取得しました。やがて、大きな会社の中にいるよりも、直接的に経営者のお役に立ちたいと思うようになったのが、独立した理由です。
大会社では経営企画部などのブレーンがいますが、中小企業ではマンパワーが不足していると感じていました。
記者
大企業と中小企業で一番違うことは何ですか。
中津山
一番違うのは、スピード感だと思います。
大企業では、職務分掌が徹底していて、監査機能もあるので、社長といえども独断専行はできません。会社として意思決定するには、多くの労力と時間が必要です。
一方、規模にもよりますが、中小企業では社長イコール会社です。社長の即断即決で動くので、大企業とはスピードが全く違います。
もうひとつの違いは、大企業では分業により専門家化が進んでいるのに対し、中小企業では社員が少ないため必然的に様々なことを行う必要があるということです。
記者
「中小企業診断士」という資格について教えてください。
中津山
経営コンサルタントに関する唯一の国家資格で、経済産業大臣が認定しています。年度によって異なりますが、合格率は4-5%程度と言われています。
中小企業診断士は、経営全般を扱うゼネラリストに対する資格です。専門性は、それぞれのバックグラウンドによります。私の場合には、ITが専門分野で、英語を強みとする、中小企業診断士ということになります。
生産や営業を含む経営全般に必要な問題解決には、TOC思考プロセスという手法を用いて、根本原因に対処して問題を解決します。

生い立ち

記者
生い立ちについて教えてください。

中津山
山形県米沢市で生まれ、高校まで過ごしました。雪深い米沢ですが、それだけに春が待ち遠しかったものです。雪が溶けると、ふきのとうが芽生え、日に日に春らしくなるのが好きでした。

  

記者
高校の名前が、何だか古風ですね。

中津山
米沢興譲館高校は上杉藩の藩校で、直江山城守兼続が1618年に学問所を創設したのが起源と言われています。興譲館という名前になったのは、上杉鷹山公が招聘した細井平洲の命名によります。

記者
上杉鷹山というと、ケネディ大統領が尊敬する日本人として挙げたことで有名ですね。

中津山
ケネディ大統領は、内村鑑三の「代表的日本人」を読んでいたようです。
興譲館高校から東北大に進み、仙台に引っ越したときには、おこがましいのですが「米沢で生まれて仙台に移った伊達政宗と同じだな」と思ったものです。

  

IT

記者
大学でもコンピュータを学んでいたそうですね。

中津山
本当はコンピュータを専門にするつもりがなかったのですが、研究室を選ぶときに抽選で漏れ、最後はじゃんけんで重井芳治教授の研究室になりました。今になって思えば、随分いい加減な決め方ですね。

記者
富士ゼロックスを就職先に選んだ決め手はなんですか。

中津山
J SarワークステーションとXNNS(Xerox Information Network System)というネットワークが素晴らしかったからです。イーサネット、マウス、グラフィカルユーザインタフェース、レーザープリンタは、どれも米Xerox社のPalo Alto Research Center(Xerox PARC)で発明されました。
J StarはXerox Starの日本語版で、大型のビットマップディスプレイとマウスを備え、グラフィカルなユーザインタフェースを提供していました。また、世界中の拠点とネットワークが繋がっていて、メールでやりとりし、レーザープリンタで高精細な出力ができました。
今では当たり前になりましたが、1987年当時は極めて先進的な環境でした。

記者
どんな研究開発を行いましたか。

中津山
研究所では、文書処理(編集、加工、データベース)、デジタルライツマネジメント(著作権保護、管理)をテーマにしていました。当時の研究成果は、Akaneと関連製品に活かされました。開発部門に移ってからは、文書管理システム(DocuShare、ArcSuite)、ソフトウェアプラットフォーム(製品基盤)、プライベートクラウドの運用に従事しました。
要件定義、外部設計、内部設計、開発、テスト、サポートまでの全工程を経験し、プロジェクト管理、知的財産権管理(特許調査や出願などの推進)、ITサービスマネジメントの推進、モバイルアプリの開発推進も担当しました。

記者
なんだか難しそうですね。モバイルアプリと言えば、インターネットはどうですか。

中津山
そう来ましたか(笑)
1995年には、Webサーバーを立ち上げて、HTMLを書いていました。HTMLのもととなったSGMLを対象に文書処理の研究をしていたこともあって、HTMLには早くから興味がありましたね。
1998年ごろには、デジタルコンテンツを配信するウェブサイトを構築しました。いろいろな知識が必要でしたが、面白い仕事でした。

記者
デジタルコンテンツと言えば、電子書籍を出版したそうですね。

中津山
話題を振っていただいて、ありがとうございます(笑)
電子書籍に用いられるEPUBにはXMLの技術が使われていますが、このXMLもSGMLに基づいています。
1冊目の電子書籍は、最終的にはEPUBを直接編集して出版しました。2冊目は、EPUBを出力できる一太郎を使って出版しました。

  

記者
富士ゼロックスの企業文化は、どうでしたか。

中津山
富士ゼロックスの創立は1962年2月で、私と同い年です。入社当時は創立25年の若い会社でした。
最初に配属された研究所は、所長こそ1つ上の世代でしたが、実質に切り盛りしていた方は10歳上、先輩もせいぜい4-5歳上というところで、若く溌剌とした職場でした。
「人と違っていてもよい」どころか「人と違っていなければならない」という時期もあったそうで、個人と自由を尊ぶ社風でした。

英語

記者
駐在や留学の経験はないそうですが、英語はどうやって身につけたのですか。
中津山
論文や特許を英語で書く機会があり、そのときに勉強したのがよかったようです。
難しい表現をしないからですが、論文のネイティブチェックでは、あまり修正されることがなくなりました。とくに、冠詞や名詞の単複は、ほとんど指摘されませんでした。
記者
通訳案内士の資格を取ったのはなぜですか。
中津山
2008年にTOEICスコアが950になり、コンスタントに900点台を取れるようになったのですが、会話、とくに話すことに自信がありませんでした。自分がガイドする立場になれば、必然的に話すことになるので、実践力を身につける場を作ろうと思ったのです。
2010年の試験で合格し、2011年3月7日、居住地の神奈川県庁に登録に行きました。登録は、東日本大震災のあった2011年3月11日です。
現在も通訳ガイドとしては活動していませんが、ビジネス通訳をしたり、海外の方と日本について話をする際には、通訳案内士試験で学んだことが役立っています。
記者
試験対策はどうしましたか。
中津山
独学です。教材は、ハロー通訳アカデミーのテキストを利用しました。
勉強法の特徴は、ガジェットを使って、すきま時間を徹底活用したことです。小さな工夫を積み重ねて、効率的に対策できたと思います。

お酒

記者
お酒はよく飲むのですか。
中津山
晩酌は欠かしません。飲んでも顔に出ないので、お酒が強いと思われがちですが、量を飲めば酔います。
記者
宮城にはおいしい日本酒がありますが、学生時代はよく飲んだのですか。
中津山
初めて酔いつぶれたのが日本酒で、トラウマになって学生時代はまったく日本酒が飲めませんでした。日本酒が好きになったのは、就職してからです。修士課程まで6年も仙台にいたのに、もったいないことをしたと思っています。
記者
お酒が飲めてよかったことは?
中津山
ベトナムに出張したとき、現地の方と痛飲して仲良くなれたことです。ベトナムでは、何度となく乾杯して盃を空ける習慣があるので、飲めてよかったと思いました。

音楽

記者
音楽が好きだと聞きました。
中津山
一番好きなのは中島みゆきで、コンサートに行くのを楽しみにしています。クラシックではバッハが好きです。
楽器演奏が趣味で、最初に手にしたのはギターです。高校時代は吹奏楽で打楽器を担当し、大学では軽音楽部でドラムを叩いていました。社会人になってからは、ピアノを習ったり、浅草サンバカーニバルに参加したりしましたが、耳を悪くしてからは演奏はほとんどしていません。

  

記者
サンバの写真は、はめ込み合成に見えなくもありませんが?

中津山
いえいえ、本物ですよ(笑)
これは、2005年の東十条サンバカーニバルで撮影した写真です。浅草サンバカーニバルS1リーグで優勝し、当時、練習場のあった東十条に凱旋したような形になりました。

記者
好きな曲は何ですか。

中津山
中島みゆきの曲は、好きなものがありすぎて、どれとは言いづらいですね。
バッハは器楽曲が好きで、カンタータは聴きません。ゴルトベルグ変奏曲と「G線上のアリア」が好きで、様々なアーチストの演奏を聴き比べています。

  

記者
楽器を始めたきっかけは何でしたか。
中津山
1歳上の従兄の影響です。中学に上がったころにギターを始め、いわゆる四畳半フォークを歌っていました。
当時歌っていた「神田川」を、40年後にベトナムで歌うことになるとは思いませんでした。実習先の病院で、看護師長の退職記念パーティに招かれ、カラオケで歌ったのです。現地で「神田川」がカバーされていることを知っていたので、この曲を選びました。

写真

記者
写真をよく撮るそうですね。
中津山
デジタル一眼レフを持っていますが、よい被写体をほぼカメラ任せで撮っています。写真は思い出になるので、Googleフォト共有アルバムで共有しています。日本の方にも海外の方にも喜ばれ、それが嬉しくて写真の腕を磨きたいと思っています。
記者
ベトナムによく出張したと聞きました。
中津山
2015年11月からご縁があり、2017年4月までに合計22週間滞在しました。その間、仕事と観光を含め、たくさんの写真を撮り、共有した方に喜んでいただけました。以下は、ハロン湾とホイアンの写真です。

  

記者
お気に入りの被写体は何ですか。
中津山
息子たちです。他人(ひと)は犬と言いますが(笑)
ただ、これは親バカもいいところなので、他の方に喜んでいただける被写体は、やはり富士山と桜ですね。
2012年に一度だけ富士山頂まで登りましたが、当時使っていたデジタル一眼レフが壊れてiPhoneでの撮影となったのが残念です。次回はぜひ、デジタル一眼レフを持って登りたいと思います。
以下は、河口湖で撮影した富士山と桜です。

  

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